沿 革

昭和28年 11月

 身体障害者福祉法(琉球政府立法第81号)が制定公布される。

昭和31年

 第1回身体障害者福祉週間が実施される。

昭和38年2月  

 沖縄身体障害者団体連合会の結成大会を大和会館(那覇市在)で500名の参加者を得て、会長に 久場景善氏、副会長に真玉橋景洋氏と中山勇吉氏、常務理事に新川栄吉氏、監事に高宮城弘陽氏、 呉我春信氏、顧問に竹内和三郎氏、 山田之朗氏、具志堅宗精氏が就任する。   

昭和38年3月

 事務所を那覇市久茂地(沖縄社会福祉協議会内)に設置する。

昭和38年11月

 第1回沖縄身体障害者福祉大会を沖縄母子福祉センターで開催する。

昭和38年11月

 第1回沖縄身体障害者作品展示会を沖縄母子センターで開催する。

昭和39年5月 

 日本身体障害者団体連合会へ加盟する。                

昭和39年9月

 第1回パラリンピック国内大会へ選手団(15名)を派遣する。

昭和40年3月  

 役員改選が行われ、副会長の中山勇吉氏、常務理事の新川栄吉氏が勇退し、会長に 久場景善氏、 副会長に真玉橋景洋氏、副会長兼常務理事に神谷正ニ氏、監事に中山 春豊氏、我那覇生徳氏が就任する。 

昭和40年9

 第1回沖縄身体障害者スポーツ大会を1,000名の参加を得て、開南小学校、首里プールで開催する。

昭和40年11月  

 第1回全国沖縄身体障害者スポーツ大会へ選手団(13名)を派遣する。 更生相談事業を実施する。

昭和41年9月   

  事務所を那覇市与儀(那覇福祉事務所内)に移転する。

昭和42年3月 

 役員改選が行われ、会長に久場景善氏、副会長兼常務理事に神谷正ニ氏、監事に中村春豊氏、我那覇生徳氏が留任する。

昭和43年7月

 沖縄身体障害者団体連合会を発展解消し、沖縄身体障害者福祉協会を発足する。 会長に稲嶺 一 郎氏、副会長に久場景善氏、常務理事に神谷正ニ氏、監事に中村 春豊氏、我那覇生徳氏が就任する。

昭和46年5月

 事務所を那覇市旭町(沖縄社会福祉センター内)に移転する          

昭和46年12月 

  社会福祉法人沖縄身体障害福祉協会設立準備会が設置され、設立代表者に稲嶺 一郎氏、副会長に久場景善氏、常務理事に神谷正ニ氏、監事に中村春豊氏、 島袋林茂氏、照屋林賀氏が就任する。

昭和47年2月 

  平良市に「宮古身体障害者授産所」を開所する。           

昭和47年3月  

  本土復帰という歴史的な転換期を迎え、本土法の適用により社会福祉法人の認可を 受け、往来 の 更生相談及び啓発普及を主とした第2種社会福祉事業に加え、第1 種社会福祉事業の施設経営を行 うため、沖縄身体障害者福祉協会を発展解消し、 社会福祉法人沖縄県身体障害者福祉協会を設立す る。初代会 長に稲嶺一郎氏、副 会長に久場景善氏、常務理事兼事務局長に神谷正ニ氏、監事に中村 春豊氏、島袋  林茂氏、照屋林賀が就任する。

昭和47年3月

 財団法人沖縄傷痍軍人会から沖縄身体障害者職業指導所(那覇市安里在)が移管 され、名称を 「おきなわ希望の家」に変更し、運営する。

昭和47年5月    

  厚生大臣から「おきなわ希望の家」が身体障害者授産施設として指定を受ける。

昭和47年5月 

 「宮古身体障害者授産所」を「おきなわ希望の家宮古分園」に名称を変更する。

昭和47年7月 

 重度身体障害授産施設「おきなわ太陽の町」を設置経営する。

昭和48年4月

 沖縄県から沖縄聴覚障害児福祉センターの運営が委託される。

昭和49年3月

 役員改選が行われ、会長に稲嶺一郎氏、副会長に久場景善氏、常務理事兼事務局長 に神谷正ニ氏を再任、監事に中村春豊氏氏、島袋林茂氏、照屋林賀氏が再任する。

昭和49年4月

  厚生大臣から「おきなわ希望の家宮古分園」が身体障害者授産施設として指定を受け、名称を「青潮園」に変更し、経営する。

昭和51年2月 

  重度身体障害者授産施設「おきなわ太陽の町」の2階に身体障害者授産施設「おきなわ希望の家」を移転する。

昭和53年3月 

 役員改選が行われ、会長に稲嶺一郎氏、副会長に久場景善氏、常務理事兼事務局長 に神谷正ニ氏を再任、監事に中村春豊氏氏、島袋林茂氏、照屋林賀氏が再任する。

昭和53年9月 

 「おきなわ希望の家」及び「おきなわ太陽の町」に通所部門を併設する。

昭和53年10月

 第16回九州身体障害者福祉大会を那覇市で開催される。

昭和55年3月

 役員改選が行われ、会長に稲嶺一郎氏、副会長に久場景善氏、常務理事兼事務局長 に神谷正ニ氏を再任、監事に中村春豊氏氏、島袋林茂氏、照屋林賀氏が再任する。

昭和55年4月 

 沖縄聴覚障害児センターを沖縄県社会福祉事業団へ移管する。

昭和57年3月 

 役員改選が行われ、会長に稲嶺一郎氏、副会長に久場景善氏、事務局長に神谷正ニ氏 を再任、監事に呉屋清徳氏が就任、中村春豊氏、玉城信昌が再任する。

昭和59年3月 

  役員改選が行われ、会長に稲嶺一郎氏、副会長に久場景善氏、常務理事に神谷正ニ氏 が再任、事務局長に城間忠氏が就任、監事に玉城信昌、中村春豊氏、呉屋清徳氏が再任する。           

昭和59年5月   

 第29回日本身体障害者福祉大会を沖縄市で開催される。

昭和61年3月  

 役員改選が行われ、会長に稲嶺一郎氏、副会長に久場景善氏が留任、神谷正ニ常務理事 が勇退し、常務理事兼事務局長に城間忠氏が就任、監事に金城宮夫氏が就任、呉屋 清徳氏、中村春豊氏が再任する。

昭和62年11月  

 第23回全国身体障害者スポーツ大会(かりゆし大会)の沖縄県開催。

昭和63年3月  

  役員改選が行われ、会長に稲嶺一郎氏が再任、副会長の久場景善氏が顧問に就任、後任の副会長に神谷正ニ氏、常務理事兼事務局長に城間忠氏が再任、監事に徳田賢隆氏が就任、呉屋清徳氏、金城宮夫氏が再任する。

平成元年5月 

  会長稲嶺一郎が逝去。        

平成元年10月     

 2代目会長に呉屋秀信氏が就任する。

平成2年3月   

 役員改選が行われ、顧問の久場景善氏が勇退し、会長に呉屋秀信氏、副会長に神谷正ニ氏、 常務理事兼事務局長に城間忠氏を再任、監事に大嶺政源氏が就任、徳田賢隆氏、金城宮夫氏を再任する。

平成3年4月  

 身体障害者の社会参加を促進するため「沖縄県身体障害者社会参加促進センター」 が設置される。

平成4年3月 

  役員改選が行われ、会長に呉屋秀信氏、副会長に神谷正ニ氏、常務理事兼事務局長に城間忠氏、監事に徳田賢隆氏、金城宮夫氏、大嶺政源氏が再任する。

平成6年3月  

  役員改選が行われ、会長に呉屋秀信氏、副会長に神谷正ニ氏、常務理事兼事務局長に城間忠氏、監事に徳田賢隆氏、金城宮夫氏、大嶺政源氏が再任する。         

平成6年5月 

 組織強化を図るため副会長2人制が導入され、長嶺将愼氏が副会長に就任する。  

平成6年5月

 常務理事兼事務局長城間忠氏が逝去。

平成6年7月 

 常務理事兼事務局長に安里二郎氏が就任する。

平成6年10月

 第29回九州身体障害者福祉大会を宜野湾市で開催する。

平成8年3月

 役員改選が行われ、会長に呉屋秀信氏、副会長に神谷正ニ氏、長嶺将眞氏、常務理事 兼事務局長に安里二郎氏が再任、監事に赤嶺武信氏が就任、金城宮夫氏、大嶺政源氏 が再任する。

平成8年8月 
 財政再建委員会を発足する。

平成10年3月  

 役員改選が行われ、会長に呉屋秀信氏、副会長に長嶺将眞氏が再任、神谷正ニ氏が勇退し、後任の副会長に上原義雄氏が就任する。 常務理事長兼事務局に安里二郎氏を再任、 監事に赤嶺武信氏、金城宮夫氏、大嶺政源氏を再任する。          

平成10年4月  

 障害者施策の一元化により「沖縄県身体障害者社会参加促進センター」を発展解消し、 「沖縄県障害者社会参加推進センター」が設置される。

平成10年8月

  昭和46年5月以来、身体障害者福祉活動の拠点として「沖縄社会福祉センター」内 に事務所を設置していたが、本会の組織強化のため、南風原町在の経営施設内に移転する。

平成10年10月 

  障害者の人権を守り、生活を支援するための電話相談事業「障害者110番」を沖縄県障害者社会参加推進センター内に開所する。

平成12年3月 

  役員改選が行われ、会長に呉屋秀信氏、副会長に長嶺将眞氏、上原義雄氏、常務理事兼 事務局長に安里二郎氏が再任、監事に金城宮夫氏、大嶺政源氏、赤嶺武信氏を再任する。

平成14年3月

 役員改正が行われ、会長に呉屋秀信氏、副会長に長嶺将眞氏、上原義雄氏、常務理事兼事務局長に安里二郎氏を再任、監事に大嶺政源氏、赤嶺武信氏が再任、砂川守夫氏が就任する。

平成14年3月

 福祉サービスにかかる苦情へ対応するため第三者委員会を設置する。

平成14年6月

  「第23回九州障害者 卓球選手権大会」が那覇市(県立武道館)で開催される。

平成14年9月  

  本会経営の身体障害者授産施設「青潮園」を社会福祉法人「ユームツ会 」に移管する。

平成15年1月  

 「第10回九州ブロック身体障害者相談員研修会」が那覇市(パシフックホテル沖縄)で開催される。                    

平成15年3月 

 会長呉屋秀信氏が任期途中の平成15年3月31日付をもって辞任する。

平成15年4月 

  会長呉屋秀信氏の辞任に伴い、呉屋秀信氏が顧問に就任し、3代目会長に上原義雄氏が就任する。

平成15年4月

 支援費制度導入に伴い、施設種別の重度身体障害者収容授産施設が身体障害者入所授産施設に変更され、沖縄県知事よりおきなわ太陽の町とおきなわ希望の家が、身体障害者入所授産施設及び通所事業の指定を受ける。

平成15年6月

  車椅子バスケットボール競技九州地区予選沖縄大会が宜野湾市(宜野湾市民体育館)で開催される。

平成16年3月

  役員改選が行われ、会長に上原義雄氏、副会長に大嶺政源氏、松田康永氏が就任、顧問に呉屋秀信氏再任、長嶺将眞氏が就任。常務理事に安里二郎氏再任、事務局長に上間彰氏が就任。監事に新田保喜氏・新垣武四郎氏が就任、砂川守夫氏は再任する。

平成16年4月

 平成15年度までの理事・評議員兼任を解き、理事、評議員をそれぞれ選任した。

平成16年11月

  「第20回九州身体障害者ゲートボール大会(沖縄大会)が北谷町(北谷公園陸上競技場)で開催される。

平成17年10月

 「第39回九州身体障害者福祉大会」が那覇市(パシフィックホテル沖縄)で開催される。

平成18年2月

 「障害者施策総合推進地方会議(西ブロック)」が那覇市(沖縄ハーバービューホテル)で開催される。

平成18年4月

  役員改選が行われ、会長に上原義雄氏が再任、副会長の大嶺政源氏が勇退し、安里次郎氏、松田康永氏が再任、常務理事に照屋寛氏が就任、監事に大城敏紀氏、當山孝信氏が就任、新垣武四郎氏が再任、顧問に呉屋秀信氏、長嶺将眞氏を再任する。

平成18年12月 

 第6回全国障害者芸術・文化祭(おきなわ大会)が那覇市(沖縄県立武道館)で開催される。

平成19年5月 

  理事会において、任期途中の副会長 松田康永氏の辞任に伴い、上原義雄会長より 永山雄一氏の指名により承諾する。

平成20年4月 

 役員改選が行われ、会長に上原義雄氏、副会長に永山雄一氏、赤嶺武信氏、常務理事に照屋寛氏が再任、監事に新垣武四郎氏、大城敏紀氏、當山孝信氏を再任する。

平成20年11月 

 監事の新垣武四郎氏の辞任に伴い、後任に島洋治氏が就任する。

平成21年1月 

 常務理事照屋寛氏の辞任に伴い、上間彰氏が就任する。

平成21年10月

 平成21年10月1日、指定障害福祉サービス事業者としての指定を沖縄県知事より受け、障害者支援施設太希おきなわ(生活介護、生活訓練、就労移行支援、就労継続支援B型、施設入所、短期入所)を開所する。

平成22年4月

 役員改選が行われ、会長に上原義雄氏、副会長に永山雄一氏、赤嶺武信氏、常務理事兼事務局長に上間彰氏が再任、監事に當山孝信氏、島洋治氏を再任する。

平成22年11月 

 会長上原義男氏逝去

平成23年4月 

 4代目会長に宮城光男氏が就任する。

平成23年7月 

 糸満市西崎に利用者の就労移行支援のため「パン工房おきしんきょう」を開所する。

平成23年12月 

 平成23年12月1日、指定障害者福祉サービス事業者としての指定沖縄県知事より受け、八重瀬町字安里区に身体障害者関係では県内初の「共同生活援助事業所 グループホーム安里」を開所する。

平成24年4月 

 役員改選が行われ、会長に宮城光男氏が再任、副会長の赤嶺武信氏が勇退し山城充正氏が就任、永山雄一氏が再任、常務理事兼事務局長に上間彰氏が再任、監事に當山孝信氏、島洋治氏を再任する。

平成24年5月 

 平成24年5月1日、指定障害者福祉サービス事業者としての指定沖縄県知事より受け、八重瀬町字玻名城区に身体障害者関係では「共同生活援助事業所 グループホーム玻名城」、共同生活介護事業所ケアホーム玻名城」を開所する。

平成26年11月

 平成26年11月1日、障害者支援施設太希おきなわの施設老朽化に伴い、施設を南風原町神里から八重瀬町仲座へと改築移転する。

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